COMPANY

会社概要

受け継いだ歴史と、遊び心を、これからのものづくりのために。

大発の創業者・下村哲山は、大正~昭和初期にかけて、当時線香の代表的産地であった 大阪・堺で 経験を積みました。堺は、16世紀末ごろに日本で最初に線香づくりの技法が中国からもたらされた土地であり、その歴史を背景に数々の銘舗が存在していたといいます。祖父が勤務していた 線香製造会社は、それまで東洋の香木一辺倒だったお香・線香の世界に、西洋の香水の香調を持ち込み、「香水線香」と呼ばれる斬新な商品群を初めて世に送り出した会社でしたが、そのアイデアを具現化したチームの一員が祖父でした。ただ商品を開発するだけでなく、芝居の舞台に広告を出すなど、今でいうメディア戦略にも長けていたようです。
祖父は 1936年(昭和11年)に独立して自身の会社を構えますが、戦災に遭い一時休業に追い込まれます。そして戦後、新天地として選んだのが淡路島でした。当時の淡路島は、祖父たち同様に堺を逃れてたどり着いた番頭・職人が多くいました。それは淡路島特有の強い西風が、線香の乾燥に最適だったからで、淡路島はみるみるうちに線香の一大産地となり、国内の約 7 割の生産量を占めるほどになりました。
祖父も父も、すぐれた調香のセンスをもち、今も愛され続けるロングセラーの 数々を創り出して、「大発ス タイル」ともいうべき明確な個性を打ち立ててきました。 2 人に共通しているのは、冒険を恐れない遊び心とあくなき創作欲でしょうか。三代目を受け継いだ私もまた、2人のスピリットを受け継ぎ、お香の新形態の創出にチャレンジを繰り返してきました。
社会のデジタル化が進み、仏事など伝統的な風習が廃れていく一方で、「香り」そのものを求める人々のニーズは年々高まっていると感じます。香りには人の心奥深くに入り込み、心を癒したり活気づけたりする力があることを、人々が本能的に知っているからでしょう。
大発はこれからも、受け継いだ歴史と遊び心をものづくりに生かし、伝統と新しいものの間をつなぎながら、社会に求められる価値あるものをお届けしてまいります。

株式会社大発 代表取締役
下村 暢作

本社
社名
株式会社大発
創業
昭和11年
資本金
2,520万円
所在地
〒656-1598
兵庫県淡路市多賀73番地の2
電話
0799-85-0325(代表)
FAX
0799-85-2219
東京営業所
所在地
〒170-0004
東京都豊島区北大塚2丁目12番1号
電話
03-3949-0747
FAX
03-3949-0748

HISTORY

沿革

明治三十年
創業者下村哲山、和歌山県伊都郡大谷村に生まれる。
大正六年
堺市車之町鬼頭天薫堂入社。
以来、勤続20年、香水香 花之花、毎日香の発売に協力。
製造部長、支配人等々を歴任。
当時、満州、上海、台湾、北海道などでの販売拡張に協力。
昭和十一年
鬼頭天薫堂退社。
堺市大町西一丁目八八番地にて合名会社桂山堂香舗設立。
資本金5,000円。
八景香、桂山香、香水香 麗光を新発売。
昭和二十年
戦災の為、一時休業。
昭和三二年
兵庫県津名郡一宮町多賀にて株式会社大発として法人改組。
昭和三四年
瑞風奇香多賀之花 発売。
昭和三九年
兵庫県津名郡一宮町北山二十八番地に北山工場完成。
敷地面積千二百坪。
昭和四十年
名香 千代桜 発売。
昭和四五年
香水香 丹花 発売。
昭和四六年
名香わかば 発売。
昭和四八年
二月十六日 初代社長 下村哲山 没。 現社長 下村桂造 社長就任。
平成五年
桧の香山林 発売。
平成九年
大発のラベンダー 発売。
平成十年
新工場落成。
平成十四年
下村桂造 会長就任。 現社長 下村暢作 代表取締役就任。
平成十六年
「父の背」「母の愛」発売。
平成十八年
「雅シリーズ」発売。 (明星・海山新発売。多賀之花・澄心パッケージリニューアル)
平成二十年
お線香の新しい形「ピッコロ」発売。 「ラベンダー ミニ」「桧の香山林 ミニ」発売。
平成二十一年
アカシアの優しい癒しの香り「香藏」発売。
平成二十二年
「香藏ミニ」「香藏 ローソクセット」発売。
平成二十五年
かつてない瑞々しい残り香「かさぶらんか」発売。